「鶴ヶ城入口」バス停を降りてあたりを見回す。城下町らしく縦横に街道が走っていて先が見えないほど長い。空の青さが道の距離感をなくさせているのかも。
少し歩くと「家老西郷頼母(さいごうたのも)邸跡」という看板を発見。会津藩なのに西郷? さすが家老はお城の真ん前に家があるのね。などと暢気なことを考えていましたがそんな暢気な場所ではありませんでした。
当時会津藩家老であった「西郷頼母」の家では敵が城下に入ったという知らせを受けた妻が、戦の足手まといにならないようにと2歳から58歳までの女子21人を自刃させたという。
なんてことだ・・・気が重くなってきた。実は会津若松駅前の「白虎隊士の像」を見た時から気が重かったのだ・・・
城めぐりというものは必ずこの感情が付きまとう。私たち後世の人間は「お城=戦争」という構図を忘れてはならない。
供養碑の前に小さな花が手向けられていました。手を合わせて目を閉じる。かける言葉は見つからない。目を開けて立ち上がると青い空はさらに青く感じました。
「北出丸(きたでまる)」から水堀に向かって歩いていくと前方にお城の天守が見えます。層塔型五層天守に野面積みの石垣がなんとも美しい。
・・・白いなあ。シュッとしてる。派手さはないけど堅牢な印象だ。これが会津の魂か。
このお城に命をかけた多くの人たちのことを思うと胸が痛みました。
赤べこ
城内に入ってすぐ「観光案内所」があり、「ガイド受付」という貼り紙を発見。窓口に置いてある申込書に名前をかいておくと、ボランティアガイドさんが城内を案内してくれるようです。
時間的なこともあり少し迷ったのですが、意を決し名前を書いて待つこと数分。ボランティアさんが登場。「どうぞこちらへ」と手招きしてくれました。
ガイドさんはオレンジのジャケットをまとった70代と思しき男性。城内を一緒に歩きながら会津の地理的な重要性、石垣の特徴、天守の赤瓦などについて説明してくれました。
いろんな話を聞いた中で「赤べこ」についての話が印象的でした。「赤べこ」と言えば福島の民芸品で首がゆらゆらと動く赤い牛で黒い大きな斑点がある・・・それくらいのことは知っていました。
ガイドさんから聞いた話では、その昔に流行した疱瘡(天然痘)から子供たちを守るために牛が身代わりになったという伝説があるとか。体にある大きな黒い斑点は疱瘡の痕なのだと。
この話に妙に感激してしまいました。あの赤い牛と黒い斑点にそんな意味が込められているとは知りませんでした。
ガイドさんは終始穏やかに話されていました。会津訛りのある朴訥なしゃべり方には誠実さと頑固さが感じられ、話の端々にお城に対する愛情を感じました。
おっと途中からガイドさんが「西郷頼母」に見えてきた。会津藩の家老が他藩の藩士に城内を案内し会津藩士としての心構えをやさしく伝えている・・・そう思えて仕方がありません。
城内は強い日差しに照らされながらも風が心地よく、約40分間のガイドも気持ちよく受けることができました。天守入口付近でガイドさんとお別れをしました。
ご厚意のほどまことにかたじけない・・・
平和の象徴
天守閣の中は会津の歴史が展示されている資料館となっておりひと通りの歴史が勉強できます。
天守閣の最上階、展望層から下界を眺める。下から見た時はわからなかった瓦屋根の色、赤いのがよくわかります。幕末当時もこの色だったとガイドさんが力説してたっけ。赤瓦は風雪に強いらしい。
360度周囲を眺めると山々に囲まれた美しい土地が広がっています。こんなところから敵が迫っている光景など絶対見たくないと心から思いました。
展望層からすぐ真下を見ると公園でイベントをしているようでにぎやかです。広場では子供たちが走り回りそれを見ている大人が休んでいる平和な光景。やはりお城は公園の一部でありこれから何年たっても平和の象徴であり続けて欲しい・・・
さて旅程では「会津若松駅」まで戻り「郡山駅」までまた戻り、そこから「二本松駅」に行かなければなりません。まだ先は長い。
帰りは周遊バスではなく路線バスに揺られて「会津若松駅」まで戻ると、バスの窓から「喜多方ラーメン」のお店を発見。運よく並ばずに入れました。太くてちぢれ麺のあっさりスープ。これはうまし!
ここから「郡山駅」までは行きで使った「磐越西線」ではなく「高速バス」を使ってみました。高速に乗るまでにとんでもない渋滞に巻き込まれ到着が30分以上遅れましたがなんとか無事到着。
休む暇もなく「郡山駅」に入る。朝の神社散歩は昨日のことのようだ。新幹線の改札を横目に「東北本線」の改札を抜ける。ローカルなホーム、いい感じだ。
さあ、二本松城へ!


