にがい思い出

私は学生時代に極貧生活を送っていた時期があります。

当時私は新宿区の大久保という街に4畳半のアパートを借りて生活していました。

1階に大家さんが住んでいて、2階に続く外階段を上っていくと粗末な木で出来た下駄箱があり、廊下に入ると奥に向かって左右に3部屋ずつ並んだ、アパートというよりも寮という感じの外観。

私は左側の一番手前の部屋で玄関のすぐ脇、下駄箱の裏側に位置しており、さらに隣がトイレという劣悪な環境で約1年間生活していました。

部屋には一応水道とお情け程度のシンク、ガスコンロがあり、高田馬場のリサイクルショップで買った1ドア冷蔵庫と炊飯器、ガラステーブルが並んでおり、布団を敷くと足の踏み場もなくなる狭さ。

部屋は位置的に、外階段の「カン、カン、カン」と、トイレのドアを閉める「バタン!」と、おまけに靴を脱ぐ場所が狭いためにみんな必ず下駄箱の上に手をつくための「ドン!」という騒音込みの部屋でした。

大久保界隈

大久保周辺はコリアンタウンとして現在はにぎわっているようですが、当時は隣町の歌舞伎町で働いている人が住んでいるという色彩の濃い街でやや物騒な空気を持った街でした。

歌舞伎町というと、テレビでよく見る「歌舞伎町一番街」という看板。

この看板は靖国通りという道路沿いにあるのですが、この一番街を通り抜け、ずっと北上して大久保通りという道路にぶつかったあたりにこのアパートはありました。

自転車を飛ばすとあの看板まで5分くらいの距離でした。

新大久保の駅を降りて大久保通りを右に行くとガード下を通過。さらに歩き明治通りにぶつかる前を左に入った住宅街にそのアパートは位置していました。

よくぼろぼろのスウェット姿のまま自転車で一番街のコンビニまで行っていたので、周りからは歌舞伎町の住み込み従業員だと思われていたと思います。

私はその後も飲み会などで歌舞伎町に行く機会があると、よく友人に「なんかお前だけ呼び込みに声かけられないよな。なんで?」と言われたことがありました。

もしかしたら10代の頃に染み付いた関係者の匂いがしていたのかもしれません。

お金がない

そもそもここでアパートを借りたのことが想定外のことでした。

もともと近隣にあった食事付きの寮のようなところに下宿していたのですが、諸事情でそこを飛び出してしまい、大久保でアパートを探しました。

親からは仕送りをもらっていましたが、アパート暮らしをするほどの仕送りではないため、大変な思いをしてやりくりをしていました。

さらに一時期、ある特殊な事情により1カ月間を200円で生活する羽目に陥った時がありました。

人間というものはこういう状態のときに何をするかというと、200円を床に並べて腕を組み熟考。

そう! 漫画でよく見るこのポーズ! 実際にするんですね。不思議です。

もちろん、何時間そうしていても何も思いつかないわけで、ぶらぶらと外に出かけました。

当時大久保通りに出る角に八百屋さんがありました。そこを見ると「安い!ピーマン20円」とポップが目につきました。

瞬時に頭の中で複雑な計算を行い、200円 ÷ 20円 = 10袋! これだ!と。

ピーマン地獄

お米は幸運にも先週買ったばかりだったので、おかずさえあれば何とかなると考えていました。

この直前には、私の持ち物の中で一番値打ちの高そうな炊飯器を質屋に出すことを思いつき、「オレって頭いい!」と飛び上がるほどうれしかったのですが、すると米が炊けなくなるというパラドックスに気づき意気消沈。

そこでこの神ピーマンを発見!

まず八百屋の親父さんにいつまで20円かを確認すると、「ずっとこの値段でいいよ」と返答。たぶん私の血走った目の気迫に押されたのでしょう。

その日からピーマンピーマンまたピーマン。3食ピーマン。夢の中でもピーマン・・・

料理はピーマン炒め1品のみ。

包丁がないので親指でヘタをグッと中に押してヘタとタネを一緒に取ってから指でちぎり、フライパンがないので手鍋に突っ込み、油がないのでそのまま炒めて最後に醤油をたらすという逸品です。

当時の感想を思い出そうとしましたが、うまいとかまずいとか抜け出したいとか、まったく思い出せないです。

おそらく自分の中で記憶から消そうとしているのでしょう。

時代

ただ2つほどエピソードは覚えています。

1つは、たんぱく質ゼロ生活なので毎日腕立て伏せをしていたこと。効果不明。

もう1つは、講義中にペンケースを開けてシャープペンシルを取り出したらピーマンの種がついていて悲しかったこと・・・

時代は移り変わり、アパートは影も形もなくなり、八百屋さんがあったところには今はとてつもなく大きなビルが建っています。

記憶とは不思議なものだと、改めて思う今日この頃です。

バルコニーのピーマンの苗が大きくなり1番花をつけました。

ピーマンが苦いのか当時の思い出が苦いのかわかりませんが、当時助けられた記憶だけはなくさずに生きていこうと思っています。

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