救命講習会に参加してきました。
私が参加したのは東京消防庁所管の「上級救命再講習」というもの。
救命講習にはいくつかの種類があり、それぞれのレベルに応じた講習を修了すると「救命技能認定証」が交付されます。
認定証には3年間の有効期間が設定されており、更新のためには期間内に再講習を受ける必要があります。
今回は私が持っている「上級救命技能認定証」の更新のための講習を受けてきたということになります。
講習には30人程度の参加者が来ており、老若男女が均等に参加している印象を受けました。
講習の内容は、心肺蘇生、AED、異物除去法、止血法、傷病者管理、応急手当法、搬送法など。
ところどころで指導員による実技の評価があり、最後は簡単な筆記試験で終了となります。
講習の中では救命のキモとなる「AED」についての知識、操作方法などもかなりの時間をかけて行います。
その中に出てくるキーワード「心室細動(しんしつさいどう)」について私なりに解説し、「AED」についての啓蒙をしてみたいと思います。
2階建て4部屋
「AED(自動体外式除細動器)」は文字通り「除細動器」という名前の機器です。
つまり「細動」を「取り除く」ための機器なのです。
この「細動」とは「心室細動」のこと。これを止めるためのマシンなのです。
つまりAEDは「止まっている心臓を動かす」ためのマシンではなく、「心臓の動きを止めるため」のマシンと言えます。
そこで「心室細動」とはどういう状態なのかを理解しておく必要があります。
心臓はとても柔らかいフワフワの臓器で、中が血液で満たされた「水風船」のようなものです。
通常はその水風船に約1秒間隔で電気信号が送られ、その度にビクッと「収縮」して血液を循環させています。
心臓は2階建ての構造で、1階に2部屋、2階に2部屋の合計4部屋があることは、中学生の理科で習ったうす~い記憶がありますね。
血液は2階(心房)から心臓に入り、1階(心室)から出ていく。電気信号による収縮で規則正しく動いています。
ところがこの規則正しい収縮は、あるきっかけで乱れることがあるのです。
震える水風船
心室細動の主な原因としては「病気」と「事故」の2つが考えられます。
病気としては「心筋梗塞」が挙げられます。
心臓を取り巻く血管が詰まることで、心臓に酸素が行かなくなり心室細動に至る病気です。
一方事故としては、スポーツ中の突然死の約20%が心室細動によるものと言われています。
例えば思い切り蹴ったサッカーボールが胸に当たった場合を考えてみます。
それまで約1秒おきに規則正しく収縮していた「水風船」に外から強い衝撃が伝わると、フワフワの心臓は当然のようにプルンプルンと震えます。
すると心臓の電気信号が異常となり1秒間に5回程に細かく痙攣し始め、1階(心室)から押し出せていた血液をきちんと押し出せなくなります。
水風船がプリンのようにプルプルと震えている状態、これが「心室細動」なのです。
似たようなものに「心房細動」というものがあるのですが、これは心臓の2階部分がプルプルしている状態のこと。
血液を戻す部屋(心房)が痙攣をおこしている状態なのですが、心室が動いていればすぐに命の危険はありません。
一方の血液を押し出す部屋で起こる「心室細動」ではほんの数秒間で意識を消失し、10分後の生存率は0パーセントとなります。
すべきこと
この痙攣している心臓にショックを与え、細かい震えを止めて通常の電気信号に整えてあげるのが「AED」の役割なのです。
ここで一般の方からよく聞かれるのは「AEDが必要な状況なのかが判断できず使うのがこわい」というものです。
「いま目の前で倒れている人が心室細動の状態なのか?」実は心電図を解析をしてみないとわからないのです。
そう、そんな時こそAEDを使うんです!
AEDには「心電図解析」が搭載されおり、電気ショックが不要な場合は「電気ショックは不要です」とメッセージが流れます。
AEDは電源を入れさえすればメッセージで手順を教えてくれるようになっていますので、「まずは電源を入れる」ことが重要です。
呼吸がない人を目の前にした時、私たち一般市民のすべきこと。
1.人を呼ぶ
2.胸骨圧迫(心臓マッサージ)
3.AED
出来ることだけでいいのです。やれることだけでいいのです。
その日は突然やってきます。心の準備だけはしておきましょう。
爪を隠す
講習が終わり、会場からの帰り道。
この日はあいにくの雨。まあそんな気はしてたけど。
傘を差して歩きながら、救命救急の技能について考える。
これって使う機会はないんだろうなってこと。
技能とか知識とか、しっかり身に着けても使うことがなければ「宝の持ち腐れ」ってやつかも・・・
いや待てよ、使うチャンスもないのに身に着けているからこそ「趣味」なのだ。
実益があるものは純粋な意味での「趣味」とは言えないのさ。
使わないまま一生を終えればそれに越したことはなく、幸せなことなのだ。
つまり「宝の持ち腐れ」ではなく「能ある鷹は爪を隠す」ということだ!
霧雨だ。濡れて帰ろう!


