早春のお客さま

ふと気づくと音もない静かな自宅のリビングに3人だけ。

忘れていたお互いの存在感に気づき、ちょっとだけビミョーな空気が流れる。

お互いとは言ったものの、さて先方はどう思っているのだろう。

「毎年同じことを考えるんですね」と微笑している・・・

お姫さま。

「変わらないということは素敵なことですね」と穏やかに・・・

お殿さま。

今年もこの季節が来ましたか。

お雛さま、お久しぶりです。

今年の私。お二人にはどう映っているのでしょう?

ゆる存在感

毎年この時期になると我が家のリビングの一角は華やかな内裏と変わります。

金屏風の前にお雛さま二人飾りの登場です。

約3週間の短い同居生活が始まります。

普段はお雛さまの存在を感じることはほぼなく、いわばインテリアと化しています。

ところが一転、ひとたび家族が全員出払い、私ひとりになると俄然存在感が増すわけです。

「自分以外の誰かがいる感」が漂い始めるんですね。

するとどうでしょう。ふとした瞬間にお雛さまの視線を感じることがあるんです。

こちらは食い入るように見つめているのですが、先方は凪の水面のような微笑のまま。

こうなると「私がいないところで絶対に二人でしゃべってるでしょ」という妄想が持ち上がるのは自然の流れと言えるわけです。

疑惑を抱く私をなだめるように、音もなく、静かな時がゆったりと流れていきます。

おだいりさま

誰もいないところで話すと言っても、急ににぎやかに話し始めるわけではありません。たぶん。

いきなり笏(しゃく)を投げて足を放り出して「あー疲れたー」などとは決して言いません。トイストーリー的な。

想像するに二人で静かにお話しになるんだと思うんです。

やおら首だけをお互いに向けて気品を保ったまま小さな声でお話する。はずなんです。

ところでこのお二人って何者なんだっけ? 何も知らないことに気づきました。

基礎知識は持ってます。

お二人それぞれを「お内裏さま」と「お雛さま」と呼ぶのは間違いで、どちらも男雛と女雛の一対を意味するということ。

関東と関西で男雛女雛の左右が逆なこと。

・・・以上です。たったそれだけです。

こちらは何も知らないのにお二人は私のことを何でも知っている。そんな気になるのはなぜなんでしょう?

貝桶

我が家のお雛さまを見ていていつも気になっていたことがありました。

一緒に飾られている道具なのですが、屏風と燭台はわかるのです。

もう一対、お二人それぞれの前に黒い円筒形の入れ物があるのです。これなんでしょう?

ひもで縛ってます。漆器のような光沢のある黒色。ふた付きで足が3本。

各地でおひなさまを見る機会は数あれど、これだけは見かけたことが一度もないんです。

これを機にと思い立ち、視線を感じながら、ネット検索。

似たようなものを発見! でも形が六角柱。こちらは「貝桶(かいおけ)」というものらしい。

「貝合わせ」という高貴な遊びに使う貝殻を入れるもの。縁起物で江戸時代には嫁入り道具だった。裕福な家庭の象徴。

なるほど。ひとつ雑学が増えた。満足!

また視線を感じる・・・「フフフ、それではないでしょ」

お弁当箱

この道具の正体は「行器」というものでした。

これで「ほかい」と読むんですね。

平安時代頃から用いられた、「草餅」などの食べ物を運んだり、旅行などの遠出に際に入れ物として使われた道具だそうです。

運ぶときは2つセットで天秤棒で担ぐらしい。

つまりは貴族の「お弁当箱」と言うことですか!

一人ひとつずつお弁当箱を持っているなんてかわいいじゃないですか。

ちょっとお二人への見方が変わりました。

でもこの「行器」、七段飾り程度の大きなセットにやっと付属するお雛道具らしいのです。

それがなんでうちのような男女一対の「親王飾り」というコンパクトなものについているのか疑問です。

購入してくださった方はすでにこの世に亡く、もはや購入時の状況を確認するすべもありません。

あの子なら大丈夫

実は毎年お雛さまがいる間は、私にとっての見張り役となっていることに気づきます。

仕事をさぼっていると視線を感じ、食後にうたた寝をしていると視線を感じ・・・

甘い誘惑に流されそうな自分をやさしく、静かに導いてくれている気がします。

日本全国で、幾万のお雛さまが、家族が寝静まった頃・・・

「あの子は大きくなりましたね」
「見違えましたね」
「これからが大変ですね」
「あの子なら大丈夫ですよ」
「乗り越えられますかね」
「もちろん乗り越えられますよ」
「そうですね」
「そうですよ」
「草餅、いただきましょうか」
「はい、いただきましょう」
「フフフ」
「ホホホ」

お雛さま、もう少しでしばしお別れとなりますね。

それまでには必ずや1年間の成長をお見せしますよ!

たぶん。

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