スローモーション

人間は命の危険を感じると目に見える光景がスローモーションになると言われています。

例えば、車の運転中に衝突事故を起こした瞬間など。

フロントガラスが割れていく瞬間がスローで見えた、という話はよく聞きます。

私の人生で初めてスローモーションになった瞬間が訪れたのは中学生時代だったかと思います。

学校の階段を何か大きな荷物を持って降りていた時。

前方が見えない状態で階段の踊り場から降りようとした時に体が宙に浮きました。

その瞬間、スローモーションがスイッチオン!

持っていた道具が前方にゆっくりと放物線を描く。ほぼストップ。静止画でした。

受け身をとった階段下の廊下で放心状態のまま、「死ぬかと思った」とつぶやきました。

でもそれ以前に1度だけ、自分ではない、他人の危機をみてスローモーションになった経験があるのです。

セイジとケンイチ

あれは小学生の頃、セイジくん、ケンイチくんの3人で放課後の教室でグダグダしていました。

このメンツは特に仲良しだった訳でもなく、なんでこの3人だったかはいまだにわかりません。

おそらく用事のあるものは次々と去っていった結果、ヒマ人3人がふるいにかけられた状態だったのでしょう。

季節は真冬。外は昨日までの雪が上がり、曇り空でした。

雪国での冬の下校というものはとても面倒くさいもので、帽子やら手袋やら防寒具をしっかりと装備してから学校を出なければなりません。

窓からの寒そうな風景を見るだけで、もう学校を出るまでが億劫でしょうがないんですね。

3人で窓の外を眺めながらため息をつくという、小学生にあるまじき、けだるい時間を過ごしていました。

明らかに3人とも退屈しており、何か刺激を求めているという状態でした。

まあこれがいわゆる「若者のすべて」なわけですが・・・

すると突然ケンイチくんが画期的かつ魅力的な提案をしてきました。

「なぁ、プールさ行ってみね?」

真冬のプール

こんな真冬にプールという、非日常へのいざないにわれわれは完全にとり憑かれました。

「こんなことを思いつくなんてケンイチくんは天才だ!」と本気で思ってました。

アホな子でした。

とりあえず見に行ってみようということになり、ふだんは5分ほどかかる下校準備を15秒で完了し学校を飛び出しました。

校庭側からプールの全景を見てみると白一色、雪に覆われたプールは形もわからないほどで、入り口も白く覆われていました。

ただ、プールの内部はさほど雪が多いわけではなさそうに見えました。

「行ける!」と私は判断し彼らに作戦を伝えました。

「実はこのプールには金網が破れている所が2ヶ所ある。そのうちの1ヶ所は穴が大きく出入りしやすいが校舎の職員室から丸見えで先生に見つかる可能性が非常に高い。だがもう片方の穴は道路側にありすぐ前に桜の木があるため校舎からも道路からも死角になっており安心して入ることができる。ただ穴が非常に狭く通るのが困難なことが懸念される」

ケンイチくんもセイジくんも口をポカーンとして聞いていましたが、聞き終わると「おめー、天才だな」と白い息とともにつぶやき、3人でニヤリ。

3人ともアホな子でした。

息を飲む光景

私とケンイチくんは難なく穴を通過できましたが、大柄なセイジくんは案の定引っ掛かりました。

くまのプーさんのように穴にはまって涙目のセイジくんを2人がかりでプール側から引っ張り入れました。

そこはプールの水面からやや下がった場所で、上の方に飛び込み台と思われるものが雪に覆われ、いくつかの小高い曲線を描いていました。

思ったより雪は少なく、3人這うようにして登っていきました。

飛び込み台までたどり着き、プールの水面を見た瞬間、3人息を飲みました。

なんと、スケート場かと見紛うほどきれいな氷が一面を覆っていました。

周辺は真っ白な雪で覆われているのに、なぜか水面には雪がなく、所々に木の葉を挟んだ鏡面を輝かせていました。

「スゲー・・・」

夢のような光景に言葉もなく、ただただぼうぜんとしていました。

すると突然、鏡面になにかが映り込み、我に返りました。

想定外の危機

なんと、セイジくんが氷上を歩き出したのです!

始めは恐る恐るでしたが、意外とイケるということがわかったようでスケートの真似をしたりしていました。

その時、プールの逆サイドの鏡面にまた何かが映り込みました。

なんと、ケンイチくんが顔の大きさ程の石を重そうに抱えてプールサイドに立っていました。

一瞬、頭の中が混乱し、状況把握が出来なくなりました。

「ヤツは何をしようとしているのか?」

次の瞬間、石がケンイチ君の手から離れ、プールに落とされました。

「おい! あぶ・・・」

石が氷面に落ちた瞬間、あらゆる音がミュートされ、世界中の時間が止まりました。

ミレーの絵画のように・・・

情報処理能力

石の周りの氷がゆったりと四方にひび割れていく・・・
音に気付いたセイジくんがプールサイドに歩いて行く・・・
走っていいのか歩いた方がいいのかわからずメチャ腰が抜けたまま逃げていく・・・
ついにひび割れが足元に追いつきくるぶしまで水没・・・
最後の力を振り絞り手をプールサイドに手を伸ばす・・・

ここまでおそらく3秒ほどの出来事でしたが、1分程度に感じられ所々はコマ送りに記憶しています。

結局胸まで水没した涙目のセイジくんをケンイチくんと2人で引きずり上げました。本日2度目。

その後どうしたかは覚えていません。

ケンイチくんの謎の行動の意味も今や確かめるすべもありません。

さて、危険を感じるとスローに感じるのは、人間の脳が普段以上の情報処理能力を発揮することから起こると言われています。

普段は1秒を「1」の処理速度で行っているものが、危険を感じると1秒を「10」で処理するため、相対的に10秒に感じるということですね。

でも自分に危険が迫っていなくてもスローになるというのはどんな訳なんでしょう?

できればすべての人間がスローモーションを感じることなく、何気ない日常を送れるように心から願っています。

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