(長い沈黙)
「咲きましたね」
「ええ、咲きましたね」
(長い沈黙)
「赤は白より早いんですか?」
「いやそういう訳でもないんですよ」
(長い沈黙)
「あっちの赤は珍しい品種ですよ」
「ほー、あれですか?」
「そうです。その向こうのやつ」
(長い沈黙)
「きれいですね・・・」
「そうですね・・・」
梅の花
たまりにたまった仕事が一段落。
職場近くの公園を散歩していました。
あちこちで梅の花が咲き始め、かすかな香りが漂っています。
やや高い位置まで登り、梅の木が並んでいる丘を眺めていました。
下の方から近づいてくる、年の頃80歳ぐらいの男性。
両手に杖を持ち、一歩ずつ、ゆっくりと登っています。
私は特に気にする風でもなく、梅を眺めていました。
その翁は私から少し離れたところに立ち止まり、私と同じように梅を眺め始めました。
しばしの無言を過ごした後、冒頭のやりとりとなったわけです。
このなんてことのない出来事、実は私にとってはとても大きな気づきがあったんです。
真剣勝負
まずこの状況になるためにはお互いの人生経験が必要だということです。
これが大前提になります。
私がもし今より10歳若ければ成立しないシチュエーションなのです。
翁は私に近づきながら、私の事を観察していたはずです。
年齢、性別、雰囲気・・・。信用に足る人物だろうかと。
「信用」という概念。
赤の他人に対して、自分に危害を加える人物か、そして話しかけても大丈夫な人物かどうか。
はたまた、自然が好きな人物か、四季を愛でる人物か、もっと狭く梅の花が好きな人物かどうか。
このあたりをたった数分の間に見極め、信用できると判断し、私に話しかけているということ。
私の方でもそれを全て理解し、わかった上で受けているということ。
つまりこれ、「真剣勝負」なんです。
一の太刀
相手が自分を信用しているとわかった時に、私も信用していますということをどう伝えるか?
またその「受け」に対してどういう「間」をとって「二の太刀」を出していくか?
そう、この手の出会いは「剣道」そのものだということに、最近まで気づきませんでした。
「咲きましたね」という「一の太刀」。
上級者です。強者です。
一瞬、隙だらけと思いきや、どこにも打ち込めない一手です。
もうこの時点で私は勝ちをあきらめざるを得ない状況なわけです。
「ええ、咲きましたね」と言う私の返しは、もうどうしようもなくなって繰り出した、敵の様子を見る一手です。
剣道で言う、「中段の構え」に対して中段、「下段の構え」に対して下段を取るようなもの。
しばしの沈黙の間、私は次の一手を考えます。もう汗だくです。
赤と白
敵は焦る風もなく、悠々と出方を見守っています。
次は必ず私から攻めなければならない。必ず。
「赤は白より早いんですか?」
紅梅は白梅より早く咲くのですか? という投げかけです。
これ、私が先に太刀を鞘に納めた形になるんです。
この言葉には、以下の意味をすべて含んでいます。
「年長者を立てる気持ち」
「年長者に教えを乞う気持ち」
「私の方が知識が浅いですという意思表示」
「四季を愛でたいという気持ちを持っているということ」
「梅の知識が少しはあるということ」
敵もゆったりと太刀を納めてこう言います。
「いやそういう訳でもないんですよ」
紅梅も白梅も咲く時期に違いはないということなんです。
しかしこの一手は、以下の意味をすべて含んでいるはずです。
「年長者を立ててくれたことへの謝意」
「相手を傷つけずに質問への回答をする」
「社会とつながった喜び」
相手を認める
この3つ目の意味を感じ取れるにはある程度の年齢が必要です。
「社会とつながった喜び」
高齢となると徐々に社会から離れていきます。
自分の属するコミュニティが少しずつ狭くなっていきます。
日本の経済を第一線で支える広い立場から、自宅周辺の狭い徒歩圏内へと意識をシフトせざるをえないのです。
そんなやるせない日常の中で、一種のスパイスとなるものがこのような赤の他人との他流試合なわけです。
自分の一手に対して相手が受ける。
相手の一手に対して自分が受ける。
お互いが敬意を持って、相手の存在を認める。
たったそれだけ、ただそれだけなんです。
いつまでも美しく
私が「きれいですね」と言ったのは、梅の花に対して発した言葉だったのです。その瞬間は。
でも発した瞬間、不思議なことにいろんな意味を包含するように聞こえました。
「そうですね・・・」
翁もわかってくれたんだ、と確信しました。
二人のやりとりにお互いが「美しい」と感じたのです。
肩で息をしている私。満足そうにうなずいている翁。
すれ違いながら、歴然とした力量の差を感じていました。と同時に、
「私も歳をとったなぁ」と。
こんなことを思う日が来るなんて、若い頃には想像だにしませんでした。
嬉しさ半分、悲しさ半分・・・
梅の香を感じながら、「いつまでも散らずにいてください」と。
振り向かずに祈りました。


