新幹線のドアが開き、上田駅のホームに降り立つ。
ひんやりとした空気が頬をかすめて、冷気が肺に染みわたります。
ホームから見える空は青く、小さな雲がまばらに浮かんでいます。
この瞬間の解放感は新幹線旅行ならではのもの。自動車での旅行では味わえません。
エスカレーターを降りて改札に向かうと、赤い鎧武者が2体見えてきました。
観光地によくある等身大顔出しパネルか!? と思ったら2体の鎧を展示しているだけのようです。
横には「信州上田」と書いた赤い幟(のぼり)が立っています。
有名な真田の「赤備え(あかそなえ)」ですね。大きな鹿の角を付けた兜には真田家の家紋「六文銭」がついています。
こんな真っ赤な集団が向かってきたら、と思うとそら恐ろしい。
徳川家康じゃなくても逃げ出したくなります。
真田信繁
上田駅前の風景は、四方を中層のビルに囲まれたロータリーがあり、その中央に銅像があるという地方の中核都市らしいもの。
人口15万人程度の他の地方都市と比べると四方のビルはさほどの高さはなく、そのせいか空の青さが印象的で解放感を感じます。
私はいつも雪の多い中核都市を訪れると独特の「色のくすみ」を感じるのですが、ここ上田駅前にもやはり雪国独特の色を感じました。
駅前ロータリーに騎馬像があります。
「真田信繫(幸村)」・・・父に真田昌幸、兄に真田信之を持ち、大阪冬の陣では「真田丸」と呼ばれる砦で徳川勢を苦しめ、大坂夏の陣では徳川家康をあと一歩まで追い詰めながらも戦場に散った武将。
やはりこの街はこの武将のイメージが強い。
さて駅から上田城跡を目指し「二の丸通り」を北西に進む。
道路は当時の地形のままと思われ、大手門に向かって登りながら右に傾斜していく。
始めは道路の左側の歩道を歩いていたが、いつの間にか歩道がなくなっていることに気づく。
もうかなり先まで横断歩道が見あたらないため、来た道をまた逆戻りしてから右側の歩道に横断するしかないようだ。
これもトラップのひとつか・・・やるな―真田昌幸・・・
第二次上田合戦
「徳川家康」対「真田昌幸」の合戦。徳川勢4万人弱、真田勢5千人弱と言われています。
関ケ原での決戦に合流しようと進軍をしていた徳川秀忠(徳川家康長男)軍は、その途中で西軍の真田昌幸が守る上田城を落とそうとします。
10倍近い兵力差があるため、徳川勢としてはさっさと降伏させて関ケ原に向かいたいところでした。
・・・降伏を迫る徳川勢に対してのらりくらりを繰り返していた真田昌幸は突然交渉を破棄、怒った徳川秀忠は全軍での攻撃を命じる。城外で小競り合いのあと上田城まで退却した真田軍は逆襲に転じる。真田昌幸と次男真田信繫は悠々と敵前に現れ相手を挑発する。怒った徳川勢が川を渡った時に堰き止めていた川を氾濫させると同時に遊撃隊の奇襲にあった徳川勢は敗走。後ろの本陣に待機していた秀忠軍も奇襲に会い全軍撤退となる・・・
結局徳川家康から合流を急ぐように言われ泣く泣く関が原に向かいましたが、到着した時にはもう関ヶ原の合戦は終わっており家康に叱責されることになります。
上田の地に8日間も足止めさせた真田昌幸としてはしてやったりでしたが、まさか関ヶ原の合戦が1日で負けてしまうとは想定外でした。東軍勝利の報告を聞いた時は呆然としていたようです。
結局2度にわたって徳川勢の大軍を退けたことから「真田」の名は日本中に知れ渡り、それが後の大坂の陣での真田信繁の活躍につながっていきます。
そしてまた上田城の名声も現在まで残っており「落ちない城」として有名なわけですね。
中吉
梅の花にもまだ早い季節、城内は人もまばらでした。
本丸跡に立ち周囲を見渡す。派手さはなく質実剛健な雰囲気を感じます。
当時から天守閣はなかったようで、それが徳川勢を侮らせた要因のひとつだったという説もあるようです。
「そんなもんいらんよ。戦に何の役にも立たない」とうそぶく真田昌幸の声が聞こえてきそう。
城内には真田神社があり、たくさんの絵馬が飾られていました。
ちょっと内容を拝見。ほとんどが受験生でした。なるほど「落ちない城」というわけだ。
おみくじコーナーでカプセルトイを発見。いわゆるガチャガチャだ。
中には「兜」「幟」「家紋」などが入っているらしい。よし!300円を投入。ガチャガチャ・・・コロコロ・・・パコッ・・・
メタル六文銭だ! 中にはおみくじも入っている・・・どれどれ・・・「中吉」・・・
時代と平和
関ヶ原の合戦では、真田昌幸・信繁は西軍、真田信幸(のち信之)は東軍につき、敵味方に分かれてしまいます。
親子、兄弟が敵味方に分かれて戦うということは、どんな理由があるにしろ悲しいことです。
それぞれに正義があり、どちらかに立てばどちらかが悪となるのはいつの時代も変わらないのでしょう。
上田城の高台から美しい風景を見ながら思う。
・・・本当は戦なんかしたくなかったんだろうなぁ・・・
このとにかく穏やかでとにかく美しい自然に囲まれて、平和にのんびりと過ごしたかったに違いない。
真田信繁という武将は生涯のほとんどを人質や幽閉などで過ごしており、鬼神のような活躍をしたのは最後の1年間だけでした。
時代に許されるなら、本当は親子兄弟一緒にここで楽しく笑いながら暮らしたかったに違いない。
人の一生なんて、中吉くらいでちょうどいいのだ。
と思った時、おなかがグゥーとなりました。そろそろなんか食べようか・・・
上田城跡をあとにして、上田市街へ向かう。


