富士山をみる

少し風にあたってこよう・・・

パソコンに向かう時間が長くなり、腰と首がつらくなっていました。

スマホだけをお尻のポケットに突っ込み、上着を重ねる。

ドアを開けた先には一面の青い空。パソコン画面に慣れた目が静かに溶けていきます。

歩きながら冷えた空気で深呼吸をすると、体中の細胞が生き返るように震える感覚。

硬くなった首を回すと、冬の空が目に入ってきます。ただひたすら青い。

近所の公園、その高台から遠く富士山を眺める。あー安定の象徴だ。

なにを書こうか・・・

コラムの内容を考える。

今回のコラム、私の記録が正しければ。

100回目なのです。

負の感情

富士山を眺めていたその瞬間、仕事にまつわるネガティブな感情が頭をよぎる。

これって、この数日間、私の頭の中を占めていた心配ごとだ。

思い出したくもなく、考えたくもなく、どこかに押しやっていた負の感情。

いつもそうだ。いつもこんな感じだ。

イヤなことはタイミングを選ばず、場所も考慮せずに頭をかすめてくる。

これをコントロール出来たらどんなに楽に生きられるだろうか・・・

私は気持ちの切り替えがうまいんです!

などと、一度でいいから言ってみたいものだ。

白いタメ息の向こう・・・樹があって、鳥がいて、風が吹いて。

そんな感情を持ちながらも・・・それでもやっぱり富士山はそこにある。

書く

文章を書くということは、いったい何を意味するのだろうか。

いわゆるアウトプットをするという作業は、その人間に何の恩恵をもたらすのか。

コラムの内容を考えながら、そんな考えが浮かんできます。

これも言ってみれば負の感情の一種。

「私は一体何のために、誰のために、何が悲しくてコラムを書いているんだろう?」というダメな思考パターン。

これ、行き詰った時によく陥る「沼」なのです。はい。

それでも週1回の締め切りという自主規制を守り、この「沼」と闘いながらも定期的な作成を続けてきました。

今回は区切りというこのタイミングで、改めて「文章を書くこと」の「メリット」と「デメリット」を考えてみようか・・・

などと、富士山を見ながら考えています。

このコラム、たぶんまとまらないな・・・という確信を抱きながら。

自分と思考と

まずデメリットを考える。

ある程度の時間を確保する必要があること。これが最大かつ唯一のデメリット。

私の場合、平日には作業の時間が取れないため、土曜日に仕事の合間に作成し日曜日にホームページにアップするのが通常の流れになります。

土曜日の段階で8割方出来ていれば上出来、日曜日の午前中に完成、校正し、ネット上にアップとなります。

ただし日曜日の朝の段階でただの一行も書けていない場合、かなりの苦しみを味わうことになるんですね。

書きたいネタがあったのは100回中の最初の5回程度のみ。ネタ切れの中の日曜日は地獄の苦しみです。あーやだやだ。

さてメリットは何だろう?

んーないかもしれない。いやないことないかー。いや、やっぱりないかなー。

原稿料が入るわけでもなく、広告料も客寄せ効果もないわけで。

それでも無理やりメリットを絞り出すとすれば・・・そう、自分を少しだけ切り離せるようになったかもしれない。

「自分の思考」と「自分」の間にちょっと風が吹くというか、隙間が出来る感じはあります。

客観視できるなんて言うと大げさなんですが、自分を発見する感覚はある気がします。

明日も大丈夫

ネガティブな感情というものは、あくまで頭の中のもの。

目が疲れていて、高台に立って、風が頬にあたり、鳥の声と落ち葉の音、そして遠くに富士山が見えて。

これが現実であり、それ以外のものは実体のないものなんですね。

「色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)」ってやつです。

そんなことはわかっていながらも、それでも煩わされてしまうのが人間というものなんです。

自分の頭の中にあるものを文字にするという行為は、それが事実であれ虚構であれ、ある種の「瞑想」に近いものなのです。

私は2年近くこの行為を続けたおかげで、自分の頭の中にあるいくつかのイメージを「実体のあるもの」と「実体のないもの」に分けられるようになった気がします。

コラムと言わないまでも、もっと手軽に同じ効果を狙うのであれば「日記」が同じ役割を果たすと思います。

もやもやした時だけでもいいので手帳の隅っこに日記を書く。必ずその時の自分の気持ちを書く。それだけ。

このメリット、皆さんも是非一度お試しください。

ほんの少しだけ、自分と思考の間に風を感じたら・・・明日も大丈夫。

それでもやっぱり富士山はそこにあるんですから!

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