柿と最期

私の職場の隣の敷地には、やや広めの空き地があります。

当初は「何の畑だろ?」と思っていましたが、一向に野菜を植える気配はみられません。

夏場は雑草が生え放題となり、野鳥の楽園と化します。

秋には虫の音が室内まで届き、ふとした合間に息抜きをしてくれたりするありがたい存在です。

その空き地の一角に、高さ5m程の柿の木が数本並んでいます。

ちょうど今の時期は実が大きく赤くなり、風景に彩りを添えてくれるんです。

秋だねー

私は毎年柿の実を見るたびに、いつも思い出すことがあるんです。

「石田三成」

関ケ原の戦いで西軍を率いて敗れた戦国武将です。

干し柿

石田三成(いしだみつなり)は豊臣秀吉の没後も豊臣家を支え続けた武将で、天下人を志す徳川家康が率いる東軍と関が原で大合戦をした西軍のリーダーです。

関ヶ原の戦いに敗れた後、敗軍の将として京都の六条河原で処刑されることになります。

彼はその直前に喉の渇きを訴え、警固の者に湯を飲ませてほしいと頼むのです。

すると警固の者は湯は用意できないと断り「干し柿」を食べろと彼に言うわけです。

それに対して彼は「それは体に悪いので食べない」と断るのです。

警固の者たちは「これから首を刎ねられる人間が何を言っとんねん」と笑うわけです。

それに向かって彼はこう言い放つ。

「大義を持つものは首を刎ねられる直前までも命を大切にして本意を遂げようとするものだ。お前たちのような者にはわからないであろう」

私はこの話を子供の頃に何かの本で読んだのですが、論調としては最後まであきらめない武士の心意気を称えるような感じだったと思います。

ただその時の私には、何かスッキリしない、腹落ちしないような違和感があった記憶があります。

「もう少し大人になったらわかるのかも」などとボンヤリと思っていました。

石田三成

さて私も人生の後半戦となり、改めてこのエピソードを考えてみると気付くことがあります。

この状況を想像してみると、炎天下で処刑を待つ間に喉がカラカラとなっていたのではないだろうか。

口に中にはすでに一滴の水分すら残っておらず、しゃべることもままならない状況ではなかったか。

こんな状況で「干し柿」を食えと言う警固の人。

そう、イジワルを言っているのです。石田三成を罪人として侮っているんです。

干し柿ならあるぞ、食えるもんなら食ってみろ、と言っているのです。

石田三成という武将、まっすぐな性格で融通は聞かず頑固者だったようですが、相手を軽んじることなく相手を思いやる心を持った武将だったと伝わっています。

そんな彼には警固の者たちの無礼が許せなかった。

もし立場が逆で彼が警固の者であったなら、何とか手配をしてお湯を用意したであろうことは想像に難くありません。

ここでただ怒るのではなく説教をするところ、ここが石田三成の石田三成たるゆえんなのでしょう。

柿の木

窓から見える多くの柿の実、なんで収穫しないんだろ?

疑問に思い、事務所を出て近くまで行って観察してみる。

近くって言ってもぜんぜん近くまでは行けず。遠目にじっくり観察。

渋柿であればとんがった形が多い。これは四角でずっしりしてる。甘柿の線が強いぞ。

木のてっぺん辺りのいくつかは、野鳥が突っついたのか半分に欠けている。

平和だねー

自分が生業としているケアマネジャーという仕事柄、余命が幾ばくもない方とお会いする機会が多い。

最期が近いこと。もうすぐ自分がこの世から消えてしまうこと。すべてわかっている。

なのにどうしてみんなあんなに泰然自若としていられるのだろう・・・

あー柿と最期が結びついちゃってる。これ、たぶん石田さんのせい。

最期の残像

私は以前、担当していたがん末期の方とアパートの一室で2人きりになった事がありました。

その方はいろんな経験した後に生活保護を受給しながら生活しており、今まさに命が絶えようとしていました。

私は静寂の中、いくつかの質問をしました。「人生で一番楽しかった時は?」とか「子供の頃の思い出は?」とか。

私のような若輩者にも全て敬語で話される方で、質問にも丁寧に答えてくださりました。

静かに時間が流れる中、思い切って最後にこう質問しました。

「人生を後悔していますか?」

少しの沈黙の後、かすれた声で「していません」と答えました。これが彼との最後の会話となりました。

あれが本心だったかどうかなど、そんなことはもはや私にはどうでもよく、私の中に残った彼の残像だけが光っているんです。なんかうまく言えませんが。

私の最期にはうまく残像を残せるだろうか? 弱い自分としっかり戦えるだろうか?

まあ、どうでもいいか!

青い空に白い雲、そして赤い柿・・・大きく背伸びをする。

さっ、仕事に戻るか!

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