私はいま、トレッドミルの上で「走って」います。
トレッドミル? よくトレーニングジムにある、歩いたり走ったりするマシンのことです。
一昔前まではランニングマシンと呼ばれていたもので、床面のベルトが後ろに流れる仕組みの機械です。
現在のマシンは性能が上がっていて、「スピード」「傾斜」「緩急」が自在にプログラム出来て、「心拍数」「距離」「カロリー」がすぐにわかります。
今現在・・・「距離1.2km」「カロリー91」「心拍数144」と表示されています。
軽く汗が出るくらい。んーいい感じ。
数カ月前にちょっとしたきっかけでこのトレーニングジムに通うようになり、空き時間があると小一時間ほど体を動かしています。
私はいつも筋トレの後、このトレッドミルで30分間走るのがお決まりなんです。
実は毎回走りながら、ある疑問が頭の中に浮かぶのです。
「これって『走っている』んだろうか?」
移動する
確かに実感としては、走っているのと全く変わりません。
試しに一瞬だけ目をつぶってみても、やっぱり走っている感じです。
違うところと言えば、風を感じないことと風景が変わらないこと、ぐらいでしょうか。
でもやっぱり何かが違う・・・
そこで休憩中に汗を拭きながら「走る」の定義をスマホで調べてみました。
「走る」:足をすばやく動かして移動する(デジタル大辞林/小学館)
ん? 移動する!?
ってことはやっぱり走っていなかったのか!
足をすばやく動かしているだけ、という結論。
その瞬間、天才バカボンのおまわりさんが走っている画が脳裏をかすめました。
有酸素運動
走ると言えば、私は走る頻度が比較的高い方でした。
少し前までは体重が増えると、ひたすら走って落とすというスタイル。
また信号の手前を歩いている時、渡れるかどうか微妙なときは必ず走っていました。
「迷ったら走る」を信条に生活していました。
ところが1年前程から生活環境が変わり、以前ほど歩かなくなりました。
電車通勤がなくなり、自転車通勤で体を動かせるようになった反面、歩く機会が激減しました。
すると必然的に走る機会もほぼなくなりました。
こうやって人間って走らなくなっていくのかな・・・などと思ったり。
その走る感覚を知っているからこそ、トレッドミルの「走っていない感」を感じるのかもしれません。
トレッドミルはただの「有酸素運動」と割り切るべきか。
風
私にとって「走る」という行為には、ある種の思い入れというか信念というものがあるんです。
物理的に走るということ以外にも、精神的な何かが。
何かに向かって突き進むという、身体の奥底から湧き出る得体のしれない霊的なものだろうか。
それを失わないよう、消えそうな自分の魂に火をつけるような行為として「走る」という感じでしょうか。
その私にとっての祈りともいえる「走る」ことがなくなった今、その代わりとしてトレッドミルに期待してしまうのは、トレッドミルくんには少し酷な話なのかもしれません。
休憩を切り上げ、またトレッドミルを再開。
目の前にはガラス戸の向こうに青い空と森が見えます。幹線道路を行き交う車や自転車、歩行者も下方に見えてます。
休憩中にガラス戸が少し開けられたのか、風が入ってきました。
風が顔をかすめる・・・前髪が揺れる・・・
その瞬間、私は確かに「走って」いました。
ヴァーチャル
「風」:空気のほぼ水平方向の運動(デジタル大辞林/小学館)
なるほど、「足をすばやく動かす」+「空気の水平の運動」を組み合わせると「走る」ことが出来るのか。
風を感じるだけでこんなに胸が高鳴るとは、想像以上でびっくりしました。
これからの時代はヴァーチャルでいかに現実に近づけるか、という話になってきています。
どうでしょう、トレッドミルに送風機能を装備してみては?
スピードに合わせて風量を変えたり、ときおり横風を入れてみるなんてのも一案です。
オマケに風に「匂い」をつけて、森林、潮風、雨などを選択できればさらに良し。
そこまで行ったら「映像」もつけて、さらに「音」もつければ完璧。
と、きりがないですね。
外の風景が夕焼けで赤く染まってきました。
祈り
隣で70代と思しき女性が歩き始めました。
「歩く」と表現して間違いないのかな、この場合も。
スマホで調べようか・・・まぁいいか、どっちでも。
腕を振って、しっかりと前を向いて、大きな歩幅で歩いています。
この人にとっても、歩くことは「祈り」であるのかもしれません。
いくつになっても元気でいたいという祈りなのか。
もしくはこの運動によって明日からまた頑張れるという祈りなのか。
元気よく、一歩一歩、歩いています。
私も一緒に元気よく、風感じて、走っています。
それぞれの明日に向かって。


