お風呂で温まりすぎて汗が止まらなくなりバルコニーに出て涼むことにしました。
真冬の夜空の下、寒気を浴びていい気持ち。
ふと見上げると満天の星です。
あの形、なんていう星座だったっけ?
月は明日あたり満月かな?
大昔の人たちもこうやって星を見てたのかな?
などと考えているのかそれとも考えていないのかわからないほどボーとしながら次々とぼんやりとした考えが浮かんでは消え・・・浮かんではまた消え・・・
生まれて初めて星を見上げたのはいつなんだろう?
生まれて初めて家の外に出たときはどう感じたんだろう?
自分の記憶の中で一番古いシーンって何だろうか・・・と。
最古の記憶
ほとんどの人は3歳くらいまでの記憶はないようです。
ある研究で幼児におもちゃの手順を教えてどれくらい覚えていられるかを実験した記録が残っています。
その結果、3歳以下でも一定期間は覚えていられることが確認されたそうです。
生後6か月で1日、生後9か月で約30日、2歳で約1年間の記憶を保持していたそうです。
という事は乳幼児は憶えられないのではなく、一度は覚えた記憶を消してしまう、もしくは記憶を取り出せなくなるという事なんですね。
三島由紀夫は著書の中で自分が産湯を使ったタライの内側からの風景を覚えていると告白しています。
同じような記憶を持つ人は一定数あるようで、ベビーベッドからの風景、生まれた瞬間の記憶、母親のおなかの中の記憶を持っている人もいるようです。
私はと考えてみると、何やら畳のような低い位置に寝ていて夏で誰かが上でうちわであおいでいて頭の上でレースのカーテンのようなものがひらひらと揺らいでいて庭からの日差しが天井を照らし暑いなー・・・という記憶。
これが私の最古の記憶です。
「動けない!」というもどかしい記憶も同時に残っており誕生日から計算するとおそらく生後2~3か月頃ではないかと思われます。
屋根からの星空
一方で外出時の最古の記憶。
なにやら自宅から少し離れたアスファルトの歩道から車道側に降りた辺りから遠くの交差点を眺めた風景。とても低い視点からの風景・・・これが最古だと思います。
これは時期は全く不明なのですが本当に地面すれすれからの風景で「これが外の世界か―」と思っている記憶があるのです。
さて、星を眺めた最古の記憶はというと・・・
最古はさすがに思い出せません。
ただ小学校低学年くらいの時に自宅の屋根に寝転んでずっと星を眺めていた記憶があります。
大き目のバスタオルをお風呂場から引っ張り出して2階の窓から屋根に降りた辺りにそれを敷き両手を頭の後ろに組んで夜空を見上げていました。
なぜそんなことをしたのかも覚えていません。
それまで星大好き少年だったわけでもなく、宇宙を目指していたわけでももちろんありません。
一体何があったのでしょうね。
星を眺める人たち
人はなぜ星を眺めるのでしょう?
地球上で何人もの人たちが同じように星を眺めています。
また歴史上の偉人たちも同じように星を眺めていたはずです。
織田信長も夜空を眺めていたかもしれないし明智光秀も同時に眺めていたかもしれません。
ネアンデルタール人も当然夜空を眺めていたでしょう。
人それぞれ違いはあると思いますが、みんな何かしら考え事をしている時に星を眺めるのではないかと私には思えるのです。
それは悩み事と言ってもいいかもしれません。
今現在のこと、過去未来のこと、思いを巡らしながら星を見ていたのではないかと思うのです。
思い通りにならない自分の人生や周りの人と自分をつい比べてしまって落胆したり、いったいいつまでこのつらさは続くんだろうと思ったり・・・
でも私は経験上、夜空を眺めることで悩みがほんの少しだけ軽くなるという事を実感しているのです。
上を見るということ
軽くなる理由? それはわかりません。
ただ歴史上の人たちの悩みに比べたら自分の悩みなんてちっぽけだと思えることや広大な宇宙の中での自分の存在なんてちっぽけだと思えることなど、キーワードは「ちっぽけ」かなと思っています。
あともう一つだけ、星を眺める人たちに共通していることがあります。
それは「上を見る」という事です。
星はいつの時代も我々人間の常に上にあり続けていて見るためには必ず上を向かなければなりません。
言い換えれば下を向いている限り決して星を見ることはできないのです。
そういう意味ではささやかではありながらもほんの少しだけ前向きな行動だと言うこともできるのです・・・
おっと火照った体がキンキンに冷えてきました。
人は誰でも人に言えない悩みを持って生きています。100%断言できます。
星はそれを当然のように知っていて・・・静かに笑っていて・・・静かに励ましているのです。


