熊谷草

「クマガイソウ」という植物があります。

野生のランの一種で自生しているものを見ることは稀な貴重な植物です。

環境省のレッドリストに絶滅危惧II類(絶滅の危険が増大している種)として指定されています。

見た目も非常に個性的で薄紫色の袋状の花は一度見たら忘れられない形をしています。

それ故に観賞価値が高く、愛好家の乱獲を招き絶滅寸前に至っているわけですね。

このクマガイソウを調べてみると、植物の分類が「ラン科アツモリソウ属クマガイソウ」というそうです。

アツモリとクマガイ? ここで歴史が好きな方は「!」と思ったことでしょう。

アツモリとクマガイと聞いてひらめくもの・・・

そうです。「平家物語」です。

源平合戦

平敦盛(たいらのあつもり)と熊谷直実(くまがいなおざね)は平家物語の中で最も美しく、最も悲しい場面を彩る2人の武将です。

ストーリーはこうです。

「源義経(みなもとのよしつね)の奇襲により不意を突かれた平家方は命からがら船に乗って撤退。そこに平家の武将・平敦盛も撤退しようと自軍の船に向かって馬を泳がせていた。それに追いついた源氏方の武将・熊谷直実から「敵に背中を見せるとは卑怯」と呼びかけられる。卑怯呼ばわりされては武士の面目を保てないと敦盛は馬を返し一騎打ちに臨む。ところが歴戦の強者直実に組みつかれ落馬。直実が首を取ろうと兜を取ってみるとまだ10代の少年であった。敦盛の堂々とした潔い態度や直実にも同じ年頃の子供がいることもあり逃がしてあげたいと考える直実。しかし周りには源氏方が集まってきておりもはや逃がすことは不可能と悟る。『他の者に討ち取られるくらいならこの私が討ち取って後のご供養をさせていただきます』と伝え泣く泣く敦盛を討ち取る。後に直実は戦の世の虚しさを悟り出家する・・・」

この華々しいシーンは後世にいろんな形に生まれ変わり現代まで残っています。

歌舞伎では「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)~熊谷陣屋(くまがいじんや)」という演目があります。

ここでは主君の源義経(みなもとのよしつね)の暗黙の命令により、敦盛の身代わりに16歳の自分の息子の首を泣く泣く差し出すという悲しいストーリーになっています。

ラストシーンは直実が出家し舞台の花道を下がる際に息子を思い出しながらつぶやく。

「16年はひと昔。あー夢であったなあ・・・」というセリフで観客全員が涙を拭きます。

私も以前に片岡仁左衛門主演のこの演目を東京銀座の歌舞伎座で観ました。

ところがこれが私にとって生まれてはじめての歌舞伎だったために大興奮してしまいセリフもストーリーも全く入って来ず・・・ぜんぜん泣けませんでした。

人間五十年

歌舞伎のほかにも織田信長が謡い舞ったと伝わる「敦盛」。

信長の生涯を描くテレビドラマでは必ず登場する、扇子を右手で開き前方をさし示して謡い舞う姿。

「人間五十年、化天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり。一度生を享(う)け、滅せぬもののあるべきか」

という有名な一説、実は熊谷直実が平敦盛を討ったのちに出家し世をはかなんでつぶやくセリフなのです。

桶狭間(おけはざま)の戦いに出陣する前にこの舞を踊ってから熱田神宮に向かったことは有名な話です。

信長はこの一節が好きでよく舞っていたと伝わっています。

若いころから太く短く生きたいと願っていたのでしょう。

前例や慣習を壊していき日本を変えた織田信長らしいエピソードだと思います。

母衣

アツモリソウ(敦盛草)という植物も存在しクマガイソウ(熊谷草)と似た形をしています。

袋状の花の形や色がちょっと違っています。

ところでなんでこんな名前がついたのでしょう?

名前の由来はこの独特の形、袋状の花にあります。

源平合戦の頃、騎馬の武将は母衣(ほろ)というマントを膨らませたようなものを装備していました。

これはマントを首の後ろにつけて馬で駆けると風で膨らみ、流れ矢などが背中に当たることを防いだ防具です。

これが花の形状にそっくりだったために2人の名前をつけたと言われています。

確かに「母衣」でネット検索するとそっくりです。

ちなみに埼玉県にあるJR熊谷(くまがや)駅前にある熊谷直実騎馬像は今まさに敦盛を呼び止めているシーンを再現しています。

命名

植物の名前ってどうやってつけるんでしょうね。

いろんな植物の名前を見ているとやはり外見上の特徴から名づけられているものが多いことに気づきます。

「カラスノエンドウ(烏のエンドウ)」や「オキナグサ(翁草)」など。

安易だとは思いながらも見た目とリンクして覚えやすいというのはいいことだと思います。

敦盛も直実も後の世で自分の名前が使われるなど想像もしていなかったでしょう。

実際の熊谷直実は心優しいが怒りっぽい荒武者だったようで、実力抜群ながらも政治的なことが苦手で結局出世できずに敦盛の事を引きずりながら出家したようです。

現代でいえば大企業に中途入社して実績は上げるものの直情型のため上司にあまり評価されず、出世競争に明け暮れる組織に嫌気がさし退職してしまう・・・といった感じでしょうか。

さて植物界での2人、クマガイソウ、アツモリソウは4月~5月頃に開花し保護されたエリアでは自生したものを見ることができます。

2人の対照的な武将の生涯を野山の花を通して味わってみるのも一興かもしれません。

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