雨ノ日ニ思フ

私は雨の日が好きです。

雨が好きなのではなく、雨の日が好きなのです。

窓から見る雨の日の風景が好きなのだと思います。

傘をさして出かけることやレインコートを着ることが億劫だったり。

それは当然ひと並みにあるのです。

でも窓から見えるちょっと静かな街だったり、曇った空を見ると心が落ち着きます。

特に森の緑が向こうに見えている手前にやや細めの雨が降って白い線が重なっている感じ。

この白い線が垂直に落ちていれば平穏。

風が吹いて白い線が斜めになれば心がざわつく感じ。

いつの間にかこんな感じを持っていた気がします。

雨の日は憂鬱なのが普通だと思うのですが。

何がきっかけでこうなっちゃったんだろう?

長雨が続く空を眺めながら頬杖をつく昼下がり・・・

雨の本

過去の経験のせいで雨に思い入れが強くなったという事も考えられます。

子供の頃に雨が好きになりそうなエピソードがなかったか。

運動会が嫌いでてるてる坊主を逆さにぶら下げたとか?・・・ない。

新しい傘や長靴を買ってもらって雨が楽しみだった?・・・特にない。

理科の時間に雨が降るしくみを勉強して大興奮した?・・・ないない。

幼少期から現在までに雨のエピソードはほとんど思いつきません。

そこで視点を変えて自宅の本棚を見てみました。

蔵書というのはその人の趣味や嗜好、考えを無意識に反映するものです。

雨に関係するものを片っ端から探してみました。

「雨の名前(高橋順子・佐藤秀明、小学館)」

「かさ(太田大八、文研出版)」

「映画「雨あがる」のパンフレット」

この3つだけ。

確かにマニアックと言えばマニアックな本ですが決定打に欠けます。

諦めかけたその時、本棚にはない、胸に引っかかる作品を思い出しました。

雨ニモマケズ

宮沢賢治(1896-1933)

実はこの作家は私と同郷であり、また出身高校の先輩にあたります。

そのせいか彼の作品に出合う機会は多かったと思います。

かの有名な「雨ニモマケズ」の一節には物心ついた頃にはすでに知っていた気がします。

一節の中の「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」を読んで「1日に米4合! 食いすぎだべ!」と子供ながらに思った記憶があります。

当時はおかずが十分にないため主食がメインだったわけですね。

この中での「雨」ですが、単純に気象現象として描写されており、内容的には私の雨好きに影響を与えたと思われるところは見当たりません。

ただ賢治の雨への思い入れを考えると共通点があることに気づきました。

恵みの雨

私は窓から雨を見ながらボーとしている時にいつも何を考えているのか・・・

この文章を書きながら、長雨が続いている外を眺めている時に気づきました。

自宅の野菜のことを考えていたのです・・・ほぼ無意識に。

「野菜はよろこんでいるだろうなぁ」

という漠然とした安心感が根底にあることに気づきました。

特に夏に晴天が続いたあとの雨には心の中にあるもやもや感がすっきりと晴れる気がします。

雨が降ると気持ちが「晴れる」とはおかしな話ですね。

賢治のような農業に携わる人にとっての雨は諸刃の剣であり、多くても少なくても被害を与えるものです。

雨は恵みであると同時に農作業を困難にし作物に被害を与えます。

作物すなわち生命を育てているという共通点に気づき改めて「雨ニモマケズ」を読んでみるとまた味わい深いものがあります。

ワタシハナリタイ

実はこの「雨ニモマケズ」は作品ではなく、小説でも、詩でもありません。

亡くなった後に愛用のカバンから出てきた手帳に残されていた「メモ」です。

37歳で亡くなる2年ほど前に書き記されたものと推測されています。

この手帳には先の一節以外にも賢治自身の当時の心境や願いが多く書かれていたそうです。

当時の彼は闘病中でした。

もっと健康で、アクティブに動き回り、長生きしたいという生々しい願望が純化された短い言葉として「雨ニモマケズ」から始まる一節に残されています。

最後の一節「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」はあまりに悲しくて、切なくて、言葉もありません。

健康で長生き。これがいかに大切な事かをもう一度考えさせられます。

雨の日に、雨について考え、自然の摂理を考えながら、人の一生を考える・・・

「最高の雨の日の過ごし方だったなあ」と思いつつ、コーヒーカップを片手に窓の外を見る。

少し晴れ間が見えて、鳥の声も聞こえてきました。

「そろそろ仕事に戻るかな・・・」

やっぱり雨の日は出かけずに窓から外を眺めているのがいいですね。

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